市川人事労務コンサルタント事務所

よもやま話

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フィギュアスケート

ソチオリンピックのフィギュアスケートで、キム・ヨナの最後の演技が素晴らしかった(ように思う、スケートは素人なので良くわからないけれど)。

完璧なまでに音楽と一体化して自分を表現していた。

他の選手は高い得点を取るために難しい技を音楽と関係なく組み込み、(私から見ると)少々不自然な演技であったのに対し、キム・ヨナのは一つの芸術作品のようだった。

だいぶ以前だが、荒川静香が現役を引退しプロになるにあたり「これからは高さやスピードでびっくりさせるのではなく美しさでうっとりさせる」ことを目標にするというようなことを言っていた。

今回のキム・ヨナは、すでにその心境でオリンピックに臨んでいたのかも知れない。

いろいろな意味で、とても立派な演技だと思った。

スケートの採点基準は、まさに評価制度そのものだ。企業でいえば、評価制度とは高いパフォーマンスをあげる社員をたたえるためのもので、それにより様々な報酬を与え結果として皆がその姿を目指すことになる。

しかし、たまに会社によっては「評価制度に従って厳格に評価をするとどうも結果がしっくり来ない」というところがある。

こういう場合は、大体においてその「しっくり来ない」という感覚のほうが正しいのであって、評価の仕組みのほうがおかしいことが多い。経営者の求める人物像が評価に反映していないことが原因で、そのまま放っておくと会社がだんだん衰退していくことになる。

話をフィギュアに戻すと、今のフィギュアがそれに近いように感じる。

採点のための演技では意味がない。

もっとフィギュアというものの存在意義や価値を正しく捉え、いろいろ改善すべきだ。そうしないと、会社が衰退していくのと同じようにフィギュアスケートという競技自体の人気がなくなっていくことになる。

まるでミュージシャンの演奏を聴いて「あそこで指がたくさん動いたからこの演奏は素晴らしい」と言っているようなものだ。

絶対におかしいと思うのだけれど、こんな感覚は私だけなんだろうか。