よもやま話
原発問題で思うこと
原発が収拾つかない。
予期せぬことが次々起こるため対応ができていないのだろう。
いろいろな収拾案が出ているようだが、どれも今までやったことがない前代未聞の方法らしい。
こういう事態にあるにもかかわらずそういう方法しか無いとすれば、かなり由々しき事態だ。
原因も分からず対策も無いということだ。
東京電力の社長が体調を崩し入院したそうだ。
極度のプレッシャーに潰されたのだろう。
東京電力の今までの記者会見を見ていて、何か分からないが妙な違和感を感じていた。
今回、その違和感の正体が分かった気がする。
社長入院の後を受けて会長というのが出てきた。
今後その会長が責任者を引き継ぐらしい。
その記者会見で、今までに無かったことだが、副社長以下役員連中がずらっと雛壇に並んで会見を行っていた。
何で今更このタイミングで仰々しくやるのだろうと思ってみていたのだが、どうもその会長が東電内で相当偉く、そのせいで盛大な記者会見になったのだろうと想像がついた。
会長というのは気丈な老人といった感じの男だ。
いわゆる実力会長というやつだろう。
その横で今まで記者会見で横柄な態度をとっていた副社長が神妙にしている。
何だこれは。
事ここに至っても、社会に対する影響や責任より社内の事情を優先しているように見える。
末端の社員は命がけで事態収拾のために戦っているのに、副社長以下の経営陣の興味関心は他に行っているのだ。
ひょっとしたら社長の入院の原因は、事故の大きさによるプレッシャーだけでなく、経営陣が一つになれないことによるストレスにあったのではないかとさえ疑ってしまった。
結局、東電という会社は、内側の論理でしか動かない会社なのだ。
20年ほど前の大企業や役所がそうだったように、(もう既に大企業は消費者に、役所は国民に一目置かざるを得なくなり、体質が大きく変わったが)未だに東電がそうしているのに些か驚いた。
インフラをやっている半官半民的企業は、変化成長を強いられる時代のブラックボックスだったのだろう。
こういう企業に原発問題を任せておくのは大変危険だ。
原発問題は一企業の問題ではない。
更にいえば日本の問題でもなく、既に世界の問題なのだ。
その世界的な危機の収束を一企業に任せている政府の対応に大いに疑問を感じる。