よもやま話
大震災から一ヶ月
歴史的大震災から一ヶ月が過ぎた。
とても長い一ヶ月だったような、あっという間の一ヶ月だったような、不思議な一ヶ月だった。
ここに来て、たくさんの海外メディアから今回の震災における日本人の行動に賞賛の声があがっている。
英国、フランス、イタリア、ドイツ、ロシア、韓国、中国などの国内向けのテレビニュースでは、日本人の秩序や忍耐、良識、冷静沈着、公助の精神などが驚きを持って取り上げられ、中には「人間の尊厳を感じた」などという最大級の賛辞まであった。
日本人からすれば当たり前のことだとも思うが、日本人の考え方が外国人と違うとすれば、それは良くも悪くも日本人が自然と共生しているところから来るのではないだろうか。
自然に対する畏敬の念が根底にあるのではないか。
東北人は太古の昔から厳しい自然にさらされながらずっと我慢を強いられて生きてきたから多少のことではへこたれない、という意味のことをある人が言っていた。
確かにこれは東北人に限らず日本人全員が昔から持っている遺伝子のような気もする。
そういえば話は違うが、ドラッカーの「マネジメント」は日本の経営の素晴らしさについて書いたものだ、とドラッカー自身が前書きで言っている。
これは、日本人が特別素晴らしいビジネス感覚を持っていたというよりは、日本人が元々持っている(前述したそういう遺伝子に由来する)価値観や精神性が、たまたま現代のビジネスの世界で機能したということだろう。
説明すると長くなるが、結論からすると恐らくそういうことだと思う。
そしてその価値観や精神性は、自然の恵みを享受しつつも自然の厳しさや怖さを知り尽くした日本人特有のものだ。
自然に対する畏怖から、常に「死」というものを身近に感じることで、死より優先する何らかの精神世界を作り出してきたのだと思う。
だから日本人は強く、たくましいのだ。
これが日本人の凄みの本質なのだと思う。