よもやま話
能力とポスト
最近、能力とポスト(役職や位置づけ)の関係がおかしくなっているケースをよく見る。
大きな例を言えば、今の日本の総理大臣がそうだ。
総理というポストをこなす能力がない。
そのために日本が滅茶苦茶なことになっている。
しかし今日はそんな話をするつもりはないので、それはまあ良い。
少し前、ある経営者と話をしていて、面白いと思ったことがあった。
建設会社の社長だが、やはり人事で困っていた。
古手の幹部が最近業績の障害になっている、と言うのだ。
良く聞いてみると「昔は大変活躍してくれて貢献度大だったが、今はあまり役に立たない。最近はそれどころか邪魔になっている。」と言うことだった。
人の能力は時とともに変わる。
これは「その人の持っているものが減っていく」ということと「会社が求める能力が変わる」ということの二通りある。
どちらにしても、そのポストに必要な能力がないという状態に変わりはない。
誰に責任があるかということではなく、そうなってしまったらもうどうしようもないのだ。
経営者は会社のために、その時は決断しなければならない。
こういう相談は良くあることなので、その時は「ふんふん」と聞いていたのだが、その後の社長の話が面白かった。
邪魔になっている人は、道の真ん中に置いてある荷物のようなものだから横にどかせば良い。
給料は払うけどそのポストの仕事をさせないようにしている、と言うのだ。
その社長は、会社が利益を上げていて資金がふんだんにあった(今時珍しいが)ため、降格も解雇もせずポストだけを外し乗り切っていた。
だから閑職の古手が沢山いる、平均年令と平均給与額が高い妙な職場になっていた。
やり方はおかしいし問題はあるが、これはある意味で本質は捉えていたと思う。
お金で済むことはまだ安いものだ。
一番駄目なのは、能力のない人に大事なポストを預けることだ。
今の日本の首相ように。
これをやり続けているとと会社は倒産する。
経営で一番大事なことは組織を活性化させることで、そのためには能力とポストをバランスさせることが大切なのだ。
もちろんその後、私はその会社の人事や組織を大掃除して、その社長の考え方を尊重しながらも必要ない人には退職してもらったり、降格、減給させ、能力のある人達がやる気を失わないように手を打った。
中長期的には私のやったことは必然で必要不可欠だが、しかしその社長の考え方の優先順位の決め方はセンスがあると思った。
世の中には古手の幹部の顔を立てるあまり、こういう判断ができずに大事なポストを与え続けている経営者が結構いる。
先代社長時代からの古手幹部や役員などを抱える二代目などに多いが、人情家の創業経営者にも意外と多いのだ。
やりにくい環境の経営者ほど思い切ってやらなければならない。
怖がってはいけない。
決断すれば意外と後が楽になるものだ。